アイルトン・セナを思い出す5月1日は命日。音速の貴公子の伝説のレースは1992年モナコGP。セナ・マンセルの名勝負。モナコ・マイスターと呼ばれた男。マクラーレン・ホンダや日本のF1の全盛期に主役だった男。

 

スポンサーリンク

 

 

 

全盛期のF1には、音速の貴公子がいた 

 

今の若い人には、わからないことだろうし、

30代後半以上の世代しか、リアルタイムで感じることができなかっただろうが、

バブル絶頂から、バブル崩壊や失われた20年に繋がっていく時代に

あるスーパースターがその呼び名のとおり、

音速で人生を駆け抜けていった。

幼少のころ放送がはじまって

おそらく、日本では全盛期だったフォーミュラ1

いわゆるF1。

週末F1GPをみるのが、幼かった私の楽しみでもありました。

日本人ドライバー・中島悟が

はじめてフルタイムF1ドライバーになった

1987年。

ロータスにホンダがエンジンを供給し、

ロータス・ホンダで中島悟のチームメイトとなったのが、

アイルトン・セナだった。

その年からはじまった日本GPも含め、

アイルトン・セナとホンダ

アイルトン・セナと日本との関わりのはじまりとも言えた。

 

その年1987年は

F1ルーキーの中島悟が7ポイントを獲得したのに対して、

ファーストドライバーのセナは優勝2回と57ポイントを獲得している。

 

同じホンダエンジンを共有していたウィリアムズにたいして

ロータスがマシンの戦闘力の差があったために

 

セナは翌年1988年からマクラーレンに移籍し、

セナの移籍とともに、マクラーレンにホンダがエンジンを供給しはじめるようになったのが、

1988年からの

マクラーレン・ホンダの全盛期へと繋がっていきます。

 

それが、日本でのF1ブーム。

F1の最盛期だったと思います。

 

スポンサーリンク

 

 

 セナとは

 

アイルトン・セナ

アイルトン・セナ・ダ・シルバ

(Ayrton Senna da Silva)

 

ブラジル人のレーシング・ドライバーでした。

 

1960年3月21日に生まれ

1994年5月1日にレース中の事故で亡くなります

 

F1世界選手権において、

1988年・1990年・1991年と、計3度ワールドチャンピオン

その3度のチャンピオンは

マクラーレン・ホンダで成し遂げたものでした。

古舘伊知郎氏が実況中継で

セナのことを

音速の貴公子と呼んだのが

1番有名な異名ではないかと思います。

 

セナは

'84 トールマン
'85-'87 ロータス
'88-'93 マクラーレン
'94 ウィリアムズ

で162戦して

ポールポジションを65回

優勝を41回

表彰台(3位以内)を80回

などを記録しています

 

スポンサーリンク

 

 

 

プロフェッサーことアラン・プロストや無冠の帝王ことナイジェル・マンセルら個性あふれるライバル

 

ポールポジション獲得回数などをみれば、

わかるように

セナは一瞬の速さには定評がありました。

スピードを競うF1の申し子とも呼べるレーサーだったと言えるかもしれません。

 

安定した早さと戦略で強さを発揮した

プロフェッサーと呼ばれた

無駄のない戦略的レースで、レース中の追い抜きのうまさをみせつける

アラン・プロスト

 

ミスや不運に泣き

無冠の帝王や荒法師や暴れん坊の異名をもつ

豪快かつ大胆でみるものを惹きつけるドライビングスタイルの

ナイジェル・マンセル

 

自由人と評された

ネルソン・ピケ

 

セナはそういったライバルたちとともに

当時四天王とか、

セナ・プロ対決などと言われた

 

シフトワークのピケ、

ステアリングワークのマンセル、

タイヤ使いのプロスト、

アクセルワークのセナ

とも呼ばれ、

コーナーでアクセルを小刻みに煽るドライビングを

セナ足と呼んでいた。

 

雨のレースにも強いという印象が強い。

 

セナの最も印象に残る1992年 第6戦 モナコGP

 

記憶に残るようなレースをたくさんしているが、

誰しもの記憶に残っているレースといえば、

1992年の第6戦モナコGP

残り7周で起こったドラマから

セナvsマンセルのチェッカーまで続く

4周にも及ぶテール・トゥー・ノーズの大バトル。

 

前年よりウィリアムズが空力に力をいれたマシンがFW14でした。

その空力マシンに、1992年に

セミオートマチックトランスミッション

トラクションコントロールシステム

無敵のアクティブサスペンション等を搭載した

歴史的名車とも言えるハイテクマシンがFW14B

 

その車の圧倒的なパフォーマンスから

開幕からウィリアムズ・ルノーのFW14Bの2台が

異次元のワンツー体制を築いていく

開幕・南アフリカGPからメキシコ・ブラジル・スペイン・サンマリノGPまで5連勝の

マンセル&ウィリアムズ ルノー FW14B

 

前年の1991年チャンピオンのタイトルを取ったアイルトン セナは

1991年シーズン終盤にせまり来るウィリアムズのFW14の

そのポテンシャルの高さを感じ、

ウィリアムズ移籍も考えていたのを

マクラーレンに留めたのは、ホンダだと言われます。

 

そのマクラーレン・ホンダMP4/6Bとの戦闘力の差は大きく、

スペインから投入したMP4/7Aでもその差は埋まらないのが明らかでした。

絶望的なシーズン序盤

モナコでもセナはウィリアムズ ルノーの2台の後塵の

2列目3番手からのスタート。

抜きどころが少ない市街地コース、モナコで

絶望的なレースがスタートしました。

スタートで2番手に浮上

そんなスタートでの1コーナーで

マンセルとパトレーゼに割って入って2番手になったのが

実はドラマのはじまりです。

マンセルの緊急ピットイン

その後先頭のマンセルには徐々にリードを広げられますが、残り8周目にマシンのバイブレーションを感じて

マンセルが緊急ピットインすることになってドラマがはじまっていきます。

2位セナとの28秒以上あったタイム差が

ピット作業がもたつく感に

マンセルがコースに戻ったときには

セナはマンセルの5秒前を走っていました。

しかも、ちょうど周回遅れを抜いてクリアになったばかりでした。

両者の前がクリアになった74周目、ラスト5周

約5秒の差をマンセルが脅威のファステストラップで

猛追がはじまる。

フレッシュなタイヤが温まってきたマンセルと

タイヤは厳しくなったが、

燃料が軽くなったセナ&マクラーレン ホンダ

たった1周でセナの背後にくっつき

ノーズが接触せんばかりのプレッシャーをかけはじめます。

 

 

マンセルのファステストラップ連発からのテール・トゥー・ノーズ

残り4周はテール・トゥー・ノーズ 

どのコーナーからでも

マンセルは外からでも内からでも

抜こうとセナにプレッシャーをかけ続けます。

セナは燃料がなくなってきて

軽くなったMP4/7Aにホンダ最後のV12エンジンとなったRA122E/Bエンジンを駆使して

抑え込む。

コーナーでは圧倒的なスピードの差があるのを

立ち上がりからコーナーのツッコミまでエンジンと

ブレーキング勝負で制して

ギリギリのラインでブロックしながら、

厳しいタイヤのマシンを

スライドさせながらもおさえていく。

 

どこからでも抜けるぞというプレッシャーをかけながらもクリーンに

最後までバトルを繰り広げる2台

セナの腕を理解していないと

あそこまでの攻めをマンセルも

テール・トゥー・ノーズのバトルはできない。

そんな熱狂バトルも

ここはモナコモンテカルロ。絶対に抜けない!

の実況のように、最終コーナーをゆっくり立ち上がってからのフル加速でテール・トゥー・ノーズのままチェッカー受ける2台。

ギリギリの大バトルは

最後までセナがマンセルを抜かせずに

セナのモナコでの4年連続勝利で終えた。

 

その翌年もモナコで劇的な勝利をあげて

5年連続6回目の優勝となるが、

モナコ・マイスターと呼ばれるようになったのは

このころからです。

 

スポンサーリンク

 

 

5月はモナコGPのある月です。

2019年も

5月23日からはじまり

26日の午後から決勝となります。

ご存知のとおり

1994年5月1日

第3戦 サンマリノGPの決勝で

7周目の超高速コーナーのタンブレロの左コーナーで300キロ以上で走行中
グリップを失ったまま直進してコンクリートウォールに激突してマシンは大破し
意識不明のままヘリコプターで運ばれたが
帰らぬ人となってしまった。

 

2年以上も

ウィリアムズのシートを待ち焦がれて

念願のシートを手にした年だった。

ウィリアムズの武器であった

アクティブサスペンションやトラクションコントロールなどの

ハイテク技術がこの年のルール変更により禁止され

空力的にも神経質なマシンに仕上がっていて

絶対的有利なマシンではなくシーズンをスタートして

前2戦でノーポイントという最悪のスタートだった

 

サンマリノの前の

第2戦は

初開催となったパシフィックGP

その舞台は地元岡山県のTIサーキット英田だったので

観戦にいったばかりだった。

そのレースではセナは

ポールポジションも

スタート後即リタイアとなっており、

それがセナの日本最後のレースとは思っていなかっただけに

残念でなりません。

 

サンマリノの次が5年連続 6度優勝していた

モナコGPというのも何かの縁だったのでしょうか

 

日本のパシフィックGPとモナコにはさまれた

サンマリノでの最後。

 

25年以上経った今も

あの日を忘れません。

 

その後

それまでのようにF1をみなくなってしまったので、

セナがいた時代というのは

今でも特別な時代だったと思っています。

 

 

5月になれば思い出す。

モナコ マイスターの

アイルトン セナを

 

スポンサーリンク

 

 

www.nekopuro.com

 

 

feminism-hysteric.hateblo.jp

 

 

feminism-hysteric.hateblo.jp

 

 

feminism-hysteric.hateblo.jp

 

 

 

★スポンサーリンク★ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相互リンク

ねこぷろ

 

 

www.nekopuro.com

 

姉妹サイト 

ねこぷろ

もよろしくお願いします

つきみあかり

 

blue-tears.hateblo.jp

 

姉妹サイト 

つきみあかり

もよろしくお願いします

 

>